ゼロスポーツ(岐阜県各務原市) 中島徳至社長(43)

2010年3月6日、岐阜新聞

EV量産体制を構築へ「数千台の受注も見えてきている」

「ようやくわたしたちの時代が来たというのが実感。電気自動車(EV)のパイオニアとして、このチャンスを確実につかみたい」。日本郵政グループの郵便事業会社から、ガソリン車を改造した集配業務用EVの大量受注を見込み、量産体制の構築を進める。電気自動車メーカーとして飛躍の時を迎え、鼻息は荒い。

郵便局

2002年からEVを販売する。2009年、郵便事業会社に2台が採用され、実証実験を実施。2010年春8台を追加納入する。「『初めて使える電気自動車にめぐり合った』と高い評価をいただいた。郵便事業会社が保有する集配車両は2万台以上。最低でも2010年は100台以上は受注する」と自信をのぞかせる。

EVでターゲットとするのは消費者ではなく、バンタイプの軽自動車を保有する法人や自治体。「郵便事業会社での実績が評価され、複数の引き合いが来ており、数千台の受注も見えてきている」という。

生産は自動車メーカーの下請け企業に委託

こうした受注の見通しを踏まえ、新たなバリューチェーン(価値連鎖)の構築を急ぐ。生産は自動車メーカーの下請け企業に委託。販売、メンテナンスは法人や自治体に広大な販路と、全国に整備工場のネットワークを持つリース会社と提携する計画だ。

「今後も相乗効果が出る先とは、資本を受け入れて業務を委託する」。既に生産は東海地方の企業と業務資本提携を結び、トライアル(試験)を進めているという。

上場も視野

車の小売り、アフターパーツ、電気自動車の3事業を展開するが、現在、電気自動車への経営資源の集中を進めており、上場も視野に入れる。「将来的には、わたしたちのシステムが世界から求められるような領域を目指したい」とビジョンを語る。

世界最速の電気自動車開発を目指す 中島徳至さん

2005年2月24日、読売新聞

なかしま・とくし 38歳

「350キロ以上」の世界最速を目指す

2005年1月に開催された「東京オートサロン」に、流れるような車体の電気自動車「スーパーエレクシード」を参考出品、注目を集めた。電気自動車の速度はすでに時速300キロを超えているが、「350キロ以上」の世界最速を目指し、支援企業を募る。

1994年、岐阜市内の倉庫を借りて自動車部品製造会社「ゼロスポーツ」を設立した。4年後、「電気自動車は草創期。勝負になる」と開発を開始。自動車メーカーの技術者に「開発には巨費がいる。大手でなければ無理」と言われ、逆に奮起した。

これまでに開発した電気自動車は4種。1号車は2000年12月、当時国内最高の時速276・6キロを記録した。2、3号車はスポーツタイプの1人乗りと軽トラック。いずれも1台200万円前後で販売、「それなりに売れている」。

技術力

最高速にこだわるのは、「技術力を示す物差しになるから」。いくらモーターの性能が良くても、車全体のバランスが悪ければ高速走行は不可能だ。

従業員約40人

大学受験に失敗

大学受験に失敗、「同い年の連中より先に社会へ」と気持ちを切り替え、事務機器会社に就職したが、ビジネスで独立しようと脱サラ。会社を岐阜県各務原市に移し、今は約40人の従業員を率いる。

働き過ぎて体をこわしたり、銀行から融資を引き揚げられそうになったりしたことも。「いずれ自動車からエンジン音がなくなる」との信念が、最高速への夢を支える。

スポーツタイプの1人乗り 電気自動車を発売した 中島徳至さん

2003年9月27日、中日新聞

重量わずか370キロ。走りの良さ、操縦の楽しさ実現

「新しい時代を創造したい」。業界でも評価の高いスポーツタイプの1人乗り電気自動車を2003年9月、発売した岐阜県各務原市の自動車部品メーカー「ゼロスポーツ」の社長。

全長2・5メートル弱で、重量はわずか370キロ。「電気自動車は重量が重くなるのが欠点とされてきたが、徹底して軽量化を図り、スポーツカーの名に恥ずかしくない走りの良さ、操縦の楽しさを得ることが出来た」と自賛する。車の規格から最高時速は60キロに制限されるが、家庭用コンセントから8時間充電で、70キロ走行が可能だ。

レース場で記録

電気自動車の開発は1996年から。レースに参加した自動車からはき出された大量の排ガスを目にして考えた。「環境に配慮した車を造っていかなければ、この業界は生き残れない」。完成図のない挑戦が始まり、4年後にはレース場で時速276キロの電気自動車日本最速の記録も出した。

会社は現在、350種類の自動車部品を全国の約4500店に卸している。電気自動車の開発では、部品供給で岐阜県内の約100社が協力した。「今後も協力を得ながら、ユーザーの要望に応える自動車開発を続けたい。地方から日本を動かす原動力になりたい」

販売員から独立してモノづくり

OA機器の販売員から独立してモノづくりにのめり込んだ36歳の意欲はあふれる。